2021年2月16日更新
みなさん、こんにちは。
養成事業部の新井和奈です。
2月13日23時過ぎに地震がありましたが、
みなさまご無事でしょうか。
東北の方は停電や断水があったと聞きます。
一刻も早く復旧することをお祈りします。
マドレボニータ養成スクール2月2週目。
3ヶ月のスクールの、ちょうど折り返し地点、
今回も熱い想いを持つ仲間がオンラインで集まり、
2時間半、産後ケアの学びを深めていきました。
養成事業部メンバーは、
スクール以外の時間も課題提出のために
奔走しているスクール生の姿を
Facebookグループやアシスタント研修で拝見し、伴走しています。
そこで意欲的に学ぶ人たちの姿は
とても頼もしく、眩しく、尊く写っています。
だからこそ、心から応援したくなる!
この気持ちを大切に覚えておきたいなと思います。
今週の学び①〈行動哲学 呼称問題とパートナーシップ〉
今まで当たり前に使っていた言葉の意味を
改めて考え、共有する時間を持ちました。
対等なパートナーシップを考える上で、
大切にしたいことは何か?
言葉を発した先には
受け取る相手がいることにも意識を向け、
どうありたいか、自分の希望をアウトプット。
他者の発言からも多くの気づきや発見がありました。
例えば、みなさんは普段、
パートナーのことをどう呼んでいますか?
主人、旦那、夫、ツレ、それともパパ?
逆に自分が呼ばれたらモヤッとする言葉はありますか?
私は他人から「奥さん」って呼ばれるとモヤっ。
(私は奥にいないわよ、ドンドン前に出るタイプだから止めてほしーい!)
って脳内で返しています。(笑)
一方で夫に
「お母さんって呼ばないで。あなたのお母さんじゃないから」
はずいぶん前にリクエストしています。
ですが
「あなたが誰かに話す時、”嫁”って言って欲しくない」
という気持ちは今まで伝えていませんでした。
なぜなら言葉を選ぶのはその人の自由だから。
しかし、今回、パートナーシップの学び合いの後に、
自分の考えを伝えてみたいな、という気持ちに変化しました。
ちなみに改めて言葉の由来や意味を調べてみると…
[夫]
意味:配偶者である男性。妻の対。亭主
由来:男人(をひと)の「ひ」が促音化して「をっと」となり「おっと」になったとされる。
平安時代初期の私撰注釈書『令集解(りょうのしゅうげ』には、「夫、俗に呼比止(をひと)と云ふ」とあり、古い語形が「をひと」であったことがわかる。
(語源由来辞典 http://gogen-allguide.com/o/otto.html より引用)
ーふむふむ、では旦那や主人の意味や由来は?
[旦那]
意味:妻が夫を、商家の奉公人が主人を、商人や役者・芸人がひいきしてくれる客を呼ぶときに用いる敬称。パトロン。
由来:旦那は、サンスクリット語「ダーナ」の音写で元仏教語。「ダーナ」は「与える」「贈る」の意味で、「ほどこし」や「布施」などと訳され「檀家」とも書く。
中国や日本では、旦那は寺院や僧侶に布施をする「施主」や「檀家」の意味を意味として、主に僧侶が用いる言葉であった。やがて、一般にも「旦那」の語が広まり、「パトロン」のように生活の面倒を見る人の意味で用いられるようになった(後略)
(語源由来辞典 http://gogen-allguide.com/ta/danna.html より引用)
語源由来辞典に掲載されていないので、手元の辞書によると「主人」は
[主人]
1 一家の長
2 客をもてなす人、またその役
3 妻が他人に対して自分の夫をさしていうことば
4 自分の仕えている人、だんな
(福武国語辞典より引用)
こうして3種類の言葉を眺めてみて…
・元来、上下関係・主従関係で使われていた言葉を使うか、
・対等な関係性を表せる言葉を選ぶか、
・時代に合っているか、
・使っている時、心地良いか?
など考えた上で、私は何を選択するか
自覚的になれたら良いのではないでしょうか。
それを人に強要しなくてもOKだと思いますが、
「自分の軸」となる考えを持って、
他者と対等な関係を築いていけたらと思います。
今週の学び②〈リーダーシップとセルフマネジメント〉
産後ケアの現場で
今この瞬間に起きていることをあるがままに観察し、
目の前にいる人の状況を理解しながら
望ましい結果に近づくための対応をする。
望ましい結果を手にするため
自動的なパターンで反応してしまうのではなく、
意図的な選択をしてパターン化したアクションに変化を起こす。
自分の深いところと繋がるワークをペアで行いました。
スクール後に講師の野田かおりさんがFacebookに投稿されていた
『自分の内面に意識を向けることも
習慣になり特別なことでもなくなってきた人は、
もうそれでセルフコンパッション(自己共感)は始まってる
自分が感じているからだの感覚や感情を
「目には見えないけど確かにあるもの」
としてしっかり受け取る。
「ああ、こういう気持ちがあるんだね」
って自分に言ってあげられる。
その気持ちをしっかり受け取れた瞬間、
何かか起きて、あたらしい自分が立ち現れてくる。
その心地よさを知っていくと、不思議なんだけど、
他者の「目に見えないけど確かにあるもの」も、
みじんの怖れも感じず
ありのまま受け止められるようになるなぁ、と。(後略)』
という言葉がとても印象的で、
少し手がかりを掴めた気がしました。
自己に向き合うことは
慣れるまで難しいと感じる人もいます。
(私はそうです)
しかし、怖れを感じず他者と向き合う、
そのためにも自分を知る。
身体感覚や行動、言葉使い、状況に
自覚的になる。
それが第一歩。
呼称問題、パートナーシップともつながっています。
産後、無自覚だった
座り姿勢や授乳姿勢に意識が向き、
普段から意図的に骨盤を起こすようになったため、
腹筋がついてきた!というのに少し似ているかもしれません。
答えのない中、探求を続けていく、
学びを更新し続けることに
感謝とワクワクを感じながら進んで行けたらと思います。
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